合唱曲『遥かな友に』

合唱曲の名曲『遥かな友に』

私は学生時代、山でよく歌った。

それは山で逝った先輩Mさんを想ってだ。

 

Mさんは私が大学時代に属したクラブ(ワンダーフォーゲル部)の3年先輩。

私が体力を懸念して入部を躊躇していた時に声をかけてくれてた。

彼が私を山の世界に誘ってくれた人だ。

 

私が1回生の夏、彼は穂高岳で帰らぬ人となった。

夏の北アルプスでの合宿が終わり、松本市内の喫茶店で列車の時間待ちしている時、何気なく観ていたTVニュースが彼の遭難を伝えていた。

瞬間、私の心は食べていたかき氷より冷たくなった。以来私はこの今日を先輩を想って歌った。

 

この曲は1951年7月12日、早稲田大学グリークラブの磯部俶が作詞作曲したもの。

今年で曲が生まれて75年になる。

私の中では今でも色褪せぬ心の歌だ。

 

早稲田大学グリークラブ出身のボニージャックス

の歌声が良い。

https://youtu.be/xnjlIVmHK_w

臼井真さんの死を悼む

臼井真さん(神戸新聞より)

私は阪神淡路大震災の物理的被災者でも肉体的被災者でもない。

 

しかし小学生の頃遊んだ須磨の街、高校の通学や友人宅あった六甲道界隈が壊れてしまったのを知った時、

友人の母親が家屋倒壊に続いた火災で亡くなったことを知った時、

新聞に掲載された犠牲者の中に大学の講義を受けた教授と夫人の名前を見つけた時、

小学校、中学校の同級生が関連死していたことを知った時、

悲しみで途方に暮れた。

 

そんな時、臼井真さんが作詞作曲した『しあわせ運べるように』を小学生が歌う声を聴いて心底泣いた。その涙は私の深い悲しみを和らげてくれた。

この歌は被災した子どもたちを励ますために臼井さんが一晩で作詞作曲した曲。

その歌は子どもたちだけでなく大人たちの心をも元気づけてくれた。

それがこの曲が31年経った今も神戸で歌い続けられている所以だ。

 

そしてこの曲は大地震で傷ついた被災地の子どもたちにも歌い継がれている。

 

65歳、若すぎる。

私より若い人の訃報を聞くのは本当に辛い。

 

ご冥福を祈るしかできない。

合掌

 

『しあわせ運べるように』

https://youtu.be/8SKIzHnCRuA

 

【神戸新聞NEXT】

◆ 被災地で歌い継がれる「しあわせ運べるように」を作詞作曲 臼井真さん死去

2026/7/13 18:30

 

https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202607/0020584504.shtml

渡辺延志著『関東大震災 虐殺の謎を解く なぜ発生し忘却されたのか』


関東大震災時に発生した朝鮮人虐殺について、著者は結語的にこう述べている。

"軍国主義だった戦前の日本で発生した特殊な出来事ーーという枠組みから朝鮮人虐殺を解き放つこと。まずそれから始めるしかないだろう。そのうえで、何があったのかを確認し、それがなぜ引き起こされたのか、つまり「殺さなくては」という衝動がなぜ生まれたのかに迫ることが求められる。人間とはそのような衝動を抱く生き物なのである。

 人間は進化し、社会は発展する。そんな素朴な思いを抱いて戦後という空間を日本人は生きてきた。ところがあり気づいてみるとそれは一炊の夢であったりようだ。

 人間とはどのような存在なのか。そんなことを一人ひとりが見つめなくてはいけない。そうしたそうした新たな時代に私たちは生きているよるに思えてならない。"

 

(渡辺延志著『関東大震災 虐殺の謎を解く なぜ発生し忘却されたのか』第七章忘却のメカニズムより)

 

私はいくつかの関東大震災時の朝鮮人虐殺に関する書籍を読んできたが、この書籍で新たな視点の示唆を受けた。それは重要な視点であることは受け止めることはできたと思っている。

「違法」と「不法」

「違法滞在」をしてしまった人々を「不法滞在」と政権が呼ぶのは、政権の悪意ある印象操作だ。

 

「違法」は「法律に違反すること全般」を指し、形式的なルール違反を言う。

それな対し「不法」は「法や社会正義に反する行為(特に民法上の不法行為)」を指し、被害が発生するなど実質的な権利侵害や道徳的な悪質さを含む行為だ。

 

政権が言う「不法滞在」者は、「社会正義に反する行為」を犯しているか、否である。「法」に触れてはいるが、社会正義に必ずしも反しているとは言えない。ただ安穏に暮らしたい、より豊かに暮らしたいと願ってこの国に滞在しているのであって、むしろ社会正義に沿っている、あるいは社会正義を求めていると言える。

 

そして「違法滞在」そのものは、他者への実質的な権利侵害もないし、道徳的に悪質でもない。

むしろ「違法滞在」者を排斥することこそ権利侵害だし、道徳的に悪質な行為と言える。

 

移住連が「非正規滞在」という言葉の使用を提案しているが、私にはその言葉がより適切に思える。

移住連



【移住連】

◆ 在留資格のない移民・難民を不法と呼ばず非正規や無登録と呼ぼう!

2023.06.09

https://migrants.jp/news/others/230601.html

バーとスナック

私の中ではバーとスナックとの違いはよくわからなかった。

強いて言うなら、バーにはバーテンダーが接客、お酒の提供をしてくれるが、寡黙で独りで静かに飲む雰囲気の店。

一方スナックにはバーテンダーの他にママと呼ばれる女性がいて接客してくれて会話やカラオケを楽しむ人が多い。

またバーではいろんなお酒が提供されるが、スナックではボトルキープが基本で水割りかソーダ割りで、ビールくらいであった。

 

私はどちらかというとバー派だった。

 

でも学生の頃よく行った「スナック」がある。学生の多い店だった、

三宮本通近くの「京」という店。

中年の女性二人の店で、提供されるのはウイスキーの水割り、ソーダ割り。

 

学生の私たちに出されるのは当時の2級ウイスキー「ハイニッカ」、今日はアルバイトのお金があるから「ブラックニッカ」(ハイニッカのワンランク上位のウイスキー)を飲ませてとお願いしても、「大学卒業してちゃんと稼いでからにし」と却下された。

ハイニッカ


「1964年にニッカウヰスキーから販売された。「ハイ」の由来はオーディオ用語の「Hi-Fi」(ハイファイ)から取られている。二級ウイスキーとして発売当時500円という低価格で発売されて、大人気となった商品である」(Wikipedia)

つまり大衆的ウイスキー、サントリーのレッドの対抗品だった。

これらのウイスキーは飲みすぎると眼底が痛くなると言われていたが、どんな酒でも飲みすぎると同じ症状は現れるのだが。

 

卒業後、初給与をもらって意気揚々と店に行き、「ブラックニッカ」の水割りを注文、喜んで飲ませてくれた。

当時のあこがれ ブラックニッカ



務めが東京に移ってからはすっかりご無沙汰で、何年か後に店をたたんだと聞いた。

 

私の数少ない「スナック」の思い出だ。

1960年6月15日 樺 美智子さん死す

樺 美智子さん

岸信介政権下で5月19日に衆院で強行採決された新安保条約は、その1カ月後の6月19日には自然成立することになったが、学生、労働者、市民で構成されるデモ隊は数十万人規模にふくれあがり、反対運動は激烈化していた。

岸信介はそれに恐れをなし、16日に赤城宗徳防衛庁長官に自衛隊の治安出動を打診したが、赤城が「出せません」と断り、自衛隊が国民に銃を向ける事態は避けられた。

軍国主義化を推し進める高市政権下の今、防衛相・小泉進次郎は断るだろうか?

私は彼なら自衛隊を出動させると思う。

 

将来憲法9条に自衛隊が明記され、緊急事態条項が加えられたらどうであろか?

 

スパイ防止法で思想弾圧され、60年安保時のような激しいデモは、その前に潰されて起こせないかも知れない。

 

反対運動を主導した安保改定阻止国民会議(国民会議)はこの6月15日をヤマ場とし、全国に統一行動を呼びかけた。国民会議の中心となった総評傘下の組合を中心に、全国で実に580万人が抗議行動に参加した。今では考えられない規模だ。

国会周辺を取り巻くデモ隊



学生のデモ隊が国会突入を図った。

その模様を共同通信はこう伝えている。

"全学連デモ隊の中の「工作隊」が国会の南通用門の扉を外した。守備側がバリケードにしていたトラックを、学生たちが引っ張りだす。構内には約1千人の武装警察官と100人を超える私服警官がいたが、一瞬うしろに引いた。

 

 誘われるように入り込んだ学生たちを警察が包囲した。指揮者の「かかれ!」の合図で、警棒を振りかざして「やっつけろ」とかかってくる。前の方にいた学生は、警棒で頭、顔、肩を乱打され、腹を突かれた。逃げ出す者を追い、うずくまっている者を叩いて、後方の私服警官に検束させた。社会党の議員や報道関係者が制止しても、警官隊の暴行はやまなかった。混乱のなかで樺は斃(たお)れた。これが第1次の激突である。"https://www.47news.jp/4564091.html

警官隊に殴打された学生たち



60年安保闘争(1960年)では、「ラジオ関東」(現・アール・エフ・ラジオ日本)などが国会前の警官隊とデモ隊の衝突を現場から生中継していた。とくに6月15日の東大生・樺美智子さんの死亡につながった衝突の緊迫した様子は、アナウンサーによる生々しい実況で全国に伝えられられた、アナウンサーが「学生の頭に警棒が容赦なく打ち落とされています」と絶叫に近い声で中継していたのを、中学生だった私は憶えている、

 

樺美智子さんは私が卒業した高校(兵庫県立神戸高校)のちょうど10年先輩。

高校の級友たちと


私は彼女のことを神戸高校卒業した隣家のお兄さんから聞いて知っていたが、高校入学後、教師から彼女について話すのを聞いたことはない。

今もおそらくそうだろう。

そもそも60年安保闘争など忘れ去られて、歴史の教科書にも掲載されてはいないだろう。

 

デモ私は樺美智子さんを、60年安保闘争を忘れない。

消しゴム

「消しゴム」

 

いろいろな消しゴム



小学校低学年の頃は「ゴム製」だった。

劣化してくると消えにくくなり、ぼろぼろと崩れてくる。

 

いつの頃からか「プラ消し」に変わっていた。

プラ消しにボールペンで絵や文字を書くと、それが消しゴムに染み込んでいき、消えてはいかない。カンニングに利用できないかと考えたが、書き込める情報量が少なく染み込んでいくと判読しがたくなってしまうことから、諦めた記憶がある。

 

教室で使用中に落とすと、結構弾んで遠くに行ってしまって失くすこともよくあった。

テスト中に落とすと本当に困った。解答を直せないので、教師に言うと席の周りを探してくれたが、すぐに見つかると良いのだが、行方不明になると周りの生徒を巻き込んでしまう事態になる。テスト終了後に巻き込んでしまった人たちから嫌味をいろいろ言われたこともある。

 

プラ消しの中には匂いの出るものもあった。裕福なうちの子どもたちは早速手に入れて自慢していた。ゴム製の消しゴム(重語)はまさにゴムの臭いがしたが、あまりよい匂いではなかった。

 

砂消しなんていうのもあった。

微細な研磨剤(珪砂など)が練り込まれた消しゴムだ。

紙の表面を研磨剤で薄く削り取ることで、ボールペンの文字や印刷されたインクを物理的に除去する。

それは「消す」というのではなく、強引に除去する作業だ。だからうまくやらないと紙を破いたり穴を開けてしまうので慎重な作業が求められた。

 

今なら修正液や修正テープなど便利なものがあるが、これは消したり除去するのではなく、誤りを覆い隠すのだ。

さらに今は消しゴムで消すことができるボールペンもあるようだが、公的文書の記入には使えない。

 

若い頃は消しゴムで消したい思い出や体験もたくさんあった。砂消しでも消すことができない苦いものも少なくない。

今でもふとした時にそんなことを思い出して、改めて苦い思いをすることがある。

苦い記憶ほど消えないものだ。

 

そんなことを朝から考えさせた今日の「朝日新聞be」の『はじまりを歩く 消しゴム(大阪府・東京都・埼玉県)』。

 

 

【朝日新聞be】

◆ (はじまりを歩く)消しゴム 文具の脇役、遊び心で主役に

 

2026年5月31日 5時00分有料記事

https://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S16473799.html