1976年9月9日
毛沢東死去
彼が死去してから50年。

毛沢東
私には彼について二つの印象がある。
一つはエドガー・スノーの『中国の赤い星』で描かれた毛沢東像。

エドガー・スノー著『中国の赤い星』
1年に及ぶ過酷な「長征」を終えたばかりの中国紅軍の様子や、兵士たちの生活を克明に描写されている。そして毛沢東の生い立ちや思想、周恩来、賀竜、彭徳懐といった主要指導者の人間像が活写されている、
中国共産党の政策や、日本軍との戦い(抗日民族統一戦線)に向けた方針を解説。
そして何よりも、指導者だけでなく、名もなき農民、少年兵、労働者たちの声をすくい上げ、当時の中国革命のありのままの姿を伝えるもので、そこに描かれた若き人の毛沢東は、まさに私がイメージする「革命家」そのものであった。
もう一つは文化大革命で見せたあくなき権力への執着であった。
文化大革命(文革)は、中華人民共和国で1966年から1976年まで続いた、毛沢東主席主導による大規模な政治闘争・社会混乱の運動。彼は紅衛兵を組織し、古い制度や歴史的遺産をも否定して破壊した。

紅衛兵

文化大革命

文化大革命
私が大学に入ったのは1967年、まさに全共闘による学園闘争が燃え盛った時期だ。
全共闘の中には、文化大革命のスローガンであった「造反有理」を掲げて自己の闘争を正当化した。そして運動にかかわる人たちすべてに「自己否定」を求めた。大学の教授会との「団交」の場において、教授たちに「自己否定」を求めた。
私が所属したクラブ(ワンダーフォーゲル部)の同期中にも「文化大革命」に心酔する者もいた。どのようにして入手したのか、紅衛兵たちのバイブルであった『毛沢東語録』をかざし、コンパでは中国語で「インターナショナル」を高唱もしていた。

毛沢東語録
その紅衛兵たちの暴走が伝えられ始めると、日本社会に誤った「共産主義」観を植え付けたように私は思っている。
私が「文化大革命」の実相を知ることになるのは、2007年に中国残留日本人孤児の支援活動に携わり出して、彼ら彼女たちから「文化大革命」期の体験を聴いたことだ。
中国残留日本人孤児の中には、日本人であることをもって「スパイ」扱いされたり、地方の共産党組織から排除された人がいた。
ある妊娠していた女性はやはりスパイ視され地下牢に閉じ込められ、腹を蹴られるなどの乱暴を受けたという。
またある人は、辺境に「下放」されて、思想改造の名の下に厳しい労働を強制された。
ある人の養父母は「日本人を養子にした」ことをもってスパイ視され、公衆の面前で「自己批判」を求められた。
またある人は地主階級出身だということで、厳しく追求され勤務していた企業で冷遇されたという。
一方、養父母の中には転居を繰り返して、養子が日本人であることを隠し通して守った人もいる。
学生時代には一種憧れを持って見ていた「文化大革命」を、冷静に見ることができるようになった。
付け加えておくが、文化大革命期に厳しい状況に置かれた残留孤児たちは、自分たちの命を守ってくれた中国に対して感謝してしている。多くの人たちは中国を「母国」、そして日本を「祖国」と考えているように思う。
今日(2026.09.9)付朝日新聞「天声人語」を読んで、こんなことを考えた。

2026.9.9付「天声人語」