党首討論2024

昨日の党首討論を聴きながら、民主党政権時代の予算委員会での石破茂の質疑を思い出した。

小沢一郎の疑惑について質疑というよりも、政治家のあり方について持論を滔々と演説していた。

時の首相は奇しくも野田佳彦だった。

 

「勇気と真をもって真実を語ることが政治家の役割だ」とか、政治と金の問題についていわゆる「正論」で野田佳彦に迫っていたが、今日の党首討論での石破茂の答弁との矛盾が大き過ぎて空いた口が塞がらない思いで、笑いそうになった。

 

総理総裁の座に就いてから、そして今日も石破茂は「勇気と真をもって真実を語った」のか、まったくそうではない。

 

石破茂も自家撞着に陥ることのない鉄面皮な政治家だとことがよく分かる党首討論だった。

 

動画は2011年9月27日の衆院予算委員会での石破茂の質疑。前半だけでも視聴されたい。

https://youtu.be/_Bn6euQQcXY

 

2024年10月9日の党首討論

https://www.youtube.com/live/3t8wbfouFRM?si=1yri6M_RT0GxEEHi

 

2024年10月9日党首討論

 

袴田事件に関する当時の報道についての朝日新聞の「おわび」記事

 

ようやく出た朝日新聞の「おわび」記事。

東京新聞毎日新聞静岡地裁判決の翌日に「おわび」記事を掲載したが、朝日新聞はなかった。

私は無罪判決確定後に発表する可能性があるとは思ったいたが、不満も感じていた。

 

いずれにしても新聞に限らず、犯罪報道についてはかねてより不満がある。

 

それは「容疑者」として逮捕された段階で、実名、顔出し報道がなされてあたかも「容疑者」ではなく「真犯人」扱いをして報道することに対しての不満だ。

推定無罪」の原則があるにもかかわらずだ。

 

警察発表をそのまま垂れ流し、時にはそれを補強するかのような報道すらある。

 

特に和歌山毒物カレー事件でのテレビ報道には、怒りさえ覚えた記憶がある。

 

林眞須美さんが自宅に群がる報道陣に対して、庭の中から放水するシーンは何度も繰り返し放映された。

報道陣は林眞須美さんが容疑者として浮かんだ段階から、連日四六時中自宅前に張り付き、家族の動きを監視していた。

子どもたちも学校にも行けず息を潜めて家に閉じこもらざるを得なかった。報道陣の取材方法が過激化していく中で、あの放水があった。

そのことを私は長男がSNSに投稿によって、その時の家族が抱えたストレスと事の起こりを知った。

 

松本サリン事件でも、第一通報者であった河野義行さんが容疑者とされた時の報道もそうだった。河野さんを犯人と決めつけるような報道ぶりであったことをよく憶えている。

 

袴田事件」についての朝日新聞の報道がどうであったかはほとんど記憶にないが、おそらく警察発表をなぞり袴田巌さんを「犯人」と決めつけるような記事が、紙面に踊っていたであろうことは容易に想像できる。

 

「おわび」は評価する。

しかし問題は報道機関が「袴田事件」をめぐる報道の反省を、今後の報道姿勢にどう活かすかだ。

二度と再び「おわび」記事を掲載しないためにどうするかだと強く思っている。

 

デジタル版に掲載された「おわび記事」はもう少し詳しいのでお読みください。

朝日新聞の当時の報道、おわびします 袴田巌さん無罪確定へ:朝日新聞デジタル (asahi.com)

2024年10月9日付朝日新聞の紙面「おわび」記事

 

イスラエルによるガザ侵攻

2023年10月7日にイスラエルがガザに侵攻してから2年目に入った。

 

ガザではイスラエルの攻撃による死者が4万人を超え、その内1万人以上に上るという。

 

https://x.com/itranslate123/status/1719701312990830934

わたしが死ななければならないのなら
   リフアト・アルアライール


わたしが 死ななければならないのなら
あなたは、生きなくてはならない
わたしの物語を語り
わたしの持ちものを売り
ひと切れの布と
糸を少し買って

(つくってほしい 白く尾の長いものを)

ガザのどこかで ひとりのこどもが
天をみつめかえす
炎のなかに 消えていった父を待ちー
だれにも別れを告げなかった
じぶん自身にもー

こどもはみる、あなたがつくったわたしの凧が、空を泳ぐのを
そこに 天使が 一瞬 いる
こどもは思う 愛されている、と

もしわたしが死ななければならないのなら
希望となれ
尾の長い 物語となれ


   (松下新土+増渕愛子訳)

現代詩手帖2024年5月号
「特集 パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聞く パレスチナの現代詩 アンソロジー」より

訳者の松下新土さん
イスラエルパレスチナに対して行なっているのは、その土地の「物語」を奪い、みずからのものとする暴力である。だからこそ、侵略者は歴史を語る老人たちを恐れる。新しい歴史を生きる赤ん坊を恐れる」

 

リフアト・アルアライールさん

原詩

 

10月8日

1967年10月8日

 

第一次羽田闘争で京大生の山崎博昭さんが死亡。

当時私も大学生で、この事件に大きな衝撃を受けたことを憶えている。

 

この後しばらくして私が通学していた大学も全共闘による闘争が激化していく。

 

山崎博昭さんが亡くなった時の状況は、この記事に詳しい。

毎日新聞

◆ 羽田事件50年

闘争の資料 ベトナムで展示へ

有料記事

2017/7/14 18:05(最終更新 7/14 18:12)

https://mainichi.jp/articles/20170715/k00/00m/040/030000c

 

私が敬愛し生前には何度かお話を伺い、影響を受けた歌人・深山あきさんが詠っておられる。

◆羽田デモ  (京大文学部一年山崎博昭君の死)

〈平和〉は常に打ち砕かれ真昼間羽田に血まみれの遺体

 

デモ果てし羽田に青年の遺体一つ〈荘厳ミサ〉地底よりおこる

 

何事もなさざりしを愧ずとわが青年蒼白なり一つの死の前に

 

いちにんの青年が担う死の意味の重きをおもうわれらきびしく

 

死にし青年死なせしその母の息子と重なりて泪し居りたり

 

母親も宗教家も教育者も起たぬ反戦学生は〈暴徒〉と呼ばれ

 

虫けらのごとく転がる一つの死これより累々と屍積まれん

 

打つ者も打たるる者も同胞ぞ飛翔し去るは微笑浮かべて

 

手を振りて飛翔する首相その手もてまた幾百万を屠(ほふ)らんとする

 

訪米阻止の意志持てど術なし息つめて厨に羽田デモ聴く

 

暴走すとマスコミも人も滔々たり羽田デモその本質に触れず

 

◆解剖室(山崎君の解剖)

冷えびえと解剖室に真実より隔離されたる青年の遺体

 

黒き手に囲まれ遺体暴かるる解剖室に陥穽はあり

 

脳・内臓・取り去られ再解剖できぬという青年の死歪められ

 

脳・内臓・液に浸され青年の忿(いか)りと哀しみ蓄えられん

 

大いなる陰謀のもとにあばかれて死ののちも青年の無念残れり

 

撲殺と轢死、発表はくい違い真実は黒き手にて蔽わる

 

十噸の装甲車に轢かれ損なわれぬ遺体の不思議誰も語らず

(深山あき 歌集「風は炎えつつ」より)

 

深山さんには私と同年生まれのご子息がおられた。

そして山崎博昭さんと同じ大学に在籍しておられたこともあり、山崎さんの死は大きな衝撃であったのだろう。