今日は成人の日。
甥っ子の娘さんが成人の日の晴れ着を着て、母に挨拶に来てくれた。
午前中高槻市の式典に参加したそうだ。天気も良く暖かだったそうだ。
母は98歳、今年の3月には99歳となる。
母は曾孫の成人の日を祝えるとは思っていなっかたのではのではないだろうか。
私は77歳、6月に78歳になる。
2人の孫の上の子が9歳、下の子が7歳だから、彼と彼女が成人の日を迎える頃には私は88歳、そして90歳となっている。
その時まで存命だとは思えないので、二人の成人の日を祝うことはおそらくないだろう。
成人の日にまつわる思い出を書いてみる。
〈私の成人の日〉
私は1947年6月の生まれ。
当時神戸市の成人式は当時、その年の1月15日から翌年1月14日に20歳となる人を対象としていたように思うが、定かではない。
したがって私の成人の日は、1967年1月15日であった。
前年までは、各区で式典参加希望者から事前申込を受けて抽選で参加者を20名程度を選び、各区でこじんまりと行っていた。
その前年に神戸市立中央体育館が完成、整備されたことから、神戸市は事前申込・抽選をやめて対象者全員に招待状を発送した。
観客席の収容人数は1,863人、フロアーにパイプ椅子を置けばおそらく5,000人は収容できたのだろう。
前年までの事前申込実績から希望者全員を収容できると考えたのだろうが、蓋を開けると体育館前の広場があふれるばかりの若者が集まった。
1947年生れは「団塊の世代」の最初の世代で、それを神戸市は考慮していなかったのか?
私は当時浪人中で、2回目の大学受験直前であったので参加するつもりはなかったのだが、現役で入学していた友人が「気分転換になるから出てこい」と誘われたので出かけた。しかし広場にも近づけず遠くから眺めていた。
入場希望者を市職員が規制し始めると、集まった若者と小競り合いが始まった。
そして市職員が体育館入口のガラス扉を閉じると、入場できない人たちが騒ぎ始めて投石まで始まり、正面玄関のガラス扉が割れた。
暴動のような騒ぎになり、県警から警察官が出動する事態となった。
一時集まった人と警察が対峙したが、警察の説得で群衆は解散してなんとか収まった。
私はその騒動をただ見ているだけだったが、妙に気分がすっきりしたことを憶えている。
後日市から日本国憲法に関する冊子がおくられてきた。
今はどうなんだろう?
〈1995年の成人の日〉
1995年の成人の日は、あの阪神淡路大震災発生の2日前だった。
1995年の成人の日は1月15日で日曜日だったので、16日月曜日が振替休日となり14日(土)から16日(月)までの3連連休となっていた。
当時私は、ある国家資格取得のため神戸のハーバーランドにあるビルで開講していた口座に通っていたのだが、この3連休は大阪天満橋のエル・おおさかで開講された集中講座に参加していた。
最終日は都合で車で出かけていた。
その3日間は真冬とはいえ暖かい日が続いていた。
講座終了後、阪神高速3号線を利用して帰宅した。
そしてよく7日午前5時46分に阪神淡路大震災が発生した。
阪神高速3号線が倒壊した。
地震発生がもう半日遅ければ私はあの倒壊に巻き込まれていた可能性があったのだ。
あの震災では神戸大学生や若者が何人も犠牲になった。
その中には2日前に成人式を迎え、周りの人たちから祝福されたに違いない。
そしてきっと将来に向けて希望に胸を膨らませていただろう。
その人たちのことを思うと、今でも胸が痛む。
成人式と言えばこの二つの出来事を毎年思い出す。